親と子、子と親
夫婦、恋人
親友、仕事仲間
大切に思いながら、理解(わか)りあえない
相手を思うからこそ、意見が喰い違う
そんなこともあるでしょう
そんなとき、関係が分断したように感じます
もう終わった。もういいや。
でも、
わかりあえなくても、共鳴している
くいちがっても、つながっている
そのことに気づいたとき、
その安心感から、
またわかりあうこともあるのです。
人間っておもしろいですね。
スマイルメーカー岡村茂でした。
親と子、子と親
夫婦、恋人
親友、仕事仲間
大切に思いながら、理解(わか)りあえない
相手を思うからこそ、意見が喰い違う
そんなこともあるでしょう
そんなとき、関係が分断したように感じます
もう終わった。もういいや。
でも、
わかりあえなくても、共鳴している
くいちがっても、つながっている
そのことに気づいたとき、
その安心感から、
またわかりあうこともあるのです。
人間っておもしろいですね。
スマイルメーカー岡村茂でした。
全徳(ぜんとく)の人は得難(えがた)し
一失(いっしつ)あれば一徳(いっとく)あり全てに優れた人を得ることは難しいが、
どの人間にも、
必ず短所もあれば長所もある。
短所ばかりを見るのではなく、
長所を見つけて
それを生かして用いなければならない。『兼山麗澤秘策』貞享元年(1684)〜寛永四年(1751)。(出典:東京都神社庁)
▼感情カウンセラー養成講座 ~喜び拡がるカウンセリングを学びませんか?~
今年も来月から「感情カウンセラー養成講座」が始まります。(申込受付中)
いい機会なので、しばらく「感情」について思いつくままに綴ってみようと思います。
読んでもらって何かに気づいたり、なにかを思い出したり、
感情や心に興味が湧いたり、ちょっとホッとしたり、
そんな何かを感じてもらえたら嬉しいです。
よかったらおつきあいください。
さて、今日は少し昔の話を。
いまでこそ「感情を感じましょう」といいながら、心を扱う仕事をしていますが、実は30歳の頃には全く感情を感じられなくなっていました。そして、当時「感じる練習」というのを1週間くらい朝から晩までやったことを思い出します。
そもそも何でそんな状態に陥ってたのかというと、感情を「切った」んですね。子どもの頃に。
今でもその時のことをなんとなく覚えています。小学校三年か四年生の頃だったと思いますが、「感情を感じないことにしよう」と決めた感覚が残っています。
当時は引っ込み思案で気が小さく、いろんなことが怖くてびくびくしていました。感受性の強い方だったと思います。
人目が怖く目立つのが嫌で、でも注目を浴びたい、というなんとも矛盾した自意識過剰の少年でした。
そのときはクラスも結構荒れていて、毎日つかみ合いのケンカやいじめ、仲間外れがあったのを覚えています。
そんな環境の中で、気の弱い自分が毎日嫌でした。
ずっとびくびくと怯えるのが嫌になったんでしょうね。言いたいことも言えずやりたいこともできない自分が嫌で、ある時「強くなりたい」と思いました。
で、そのとき考えた「強さ」が
「びくびくしない、怯えない自分になる」ということでした。
ここまでは良かったんですが、今振り返るとその実現方法で間違ってしまいました。
そのときは「感情を切る」ことで、びくびくや怯えをを感じないことにしてしまいました。このやり方がまずいのは、その時にきちんと感じられなかった感情が潜在意識に溜め込まれて、心に歪みを生んでしまうのです。
しばらくは溜め込まれても大丈夫ですが、後々苦しくなってしまうのです。
当時は「巨人の星」や「アタックNo.1」などスポ根全盛の時代で、「我慢する」とか「耐える」が美徳と思っていました。
ちゃんと感じながら「我慢する」なら良かったんですが、当時はその感情をなかったことにしてやり過ごそうとしたのでした。
そのときは、怯えてしまったら身がすくんで何もできなくなる、「弱い人間」になってしまう。そしたら「人間失格」の烙印が押されてしまう。。と思っていました。今となっては「なんでそこまで?」と感じますが、ともかくそういう環境だったのでした。
だれか「感情は感じても大丈夫だよ」「怯えきったらまた元気が出るよ」と言ってくれる人が身近にいたらよかったなぁ、と思います。
今の自分がそこにいたら、「びくびくしたって、怯えたって、怖くて泣いたって、それでも大丈夫。それでも大丈夫だから強いんだよ」って教えてあげられるのに、と思います。
そしたら、後々そうなっちゃったように、
始終イライラしたり、抑え込んだ感情に振り回されたり、
無感覚になってネガティブも感じない代わりに、喜びも感じなくなって刺激を追っかけるようになったり、自分のやりたいことがわからなくなったり、ワーカホリックになったり、病気になったり‥しなかったろうなぁ、、と思います。
でも、それがなかったら「感情カウンセラー養成講座」も誕生してなかっただろうから、「万事、塞翁が馬」でオッケー!ということにしておこうかな・・(笑)
長くなったので、今日はこの辺で。
ちょっと書き散らかした感はありますが、おつき合いいただきありがとうございました。よかったらまたお越しください☆
「感情」に興味が湧いたら、こちらもどうぞ。
▼感情カウンセラー養成講座 ~喜び拡がるカウンセリングを学びませんか?~
こんばんは
立夏も過ぎ、早くも夏の陽射しを感じるようになりました。
この2ヶ月、なにかと変化の多い時期で、感じたことをアウトプットしようとするとすぐ次の変化があり、と記事を書くタイミングを逸していました。何かに押し流されるような感のある期間でしたが、何か新しい視点が芽生えたようでそれはそれでよかったのかもしれません。おいおい表現できたらいいなと思います。よろしければ引き続きおつき合いください。
さて、そんなこんなで前回のブログから2ヶ月ぶりの更新になりますが、新月ネタから再スタートです。昨日の未明が新月でした。願いの種まきは48時間以内が有効と言われているので、明朝未明4時30分までに行うといいようです。
物質次元の豊かさや、個としての「自分」という存在(身体やアイデンティティ等の個的表現媒体)の価値を洗練させるのに適しているようです。
次にあげる領域にいい影響が及ぼしやすいとのこと。
※出典はコチラ→ [魂の願い]新月のソウルメイキング
本来私達が持つ内面の豊かさをこの物質次元に反映していくことは常々「現代人のテーマ」と思っているので、大切にしたい内容です。よかったら参考にしてください☆
スマイルメーカー岡村茂でした。
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★6月25日スタート!第三期【感情カウンセラー養成講座】
「自他ともに、幸せが拡がるカウンセリング」を学びませんか?
=募集始まりました= 感情カウンセラー養成講座へのお誘い
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おはようございます。
二十四節気「啓蟄(けいちつ)」も越え、日々春めいてくるのを感じます。
たまに鼻がむず痒くなったりすると、「あぁ、また春か・・」とぼやく知人の顔が浮かびます(笑)
さて、今日は新月。
インドネシアでは皆既日食、日本でも部分日食があるそうです。東京ではちょうど食が始まったところ。10時12分~12時5分までがその時間です。
そして、新月は10時55分。
時間が過ぎたら恒例になりつつある「願いの種まき」をしようと思います。
今回の新月は、月が黄道上のうお座にあるタイミングなので、
次にあげる領域にいい影響が及ぼしやすいとのこと。
月に一度、いろんな角度から自分をチェックし流れを整えるのはいいものですね。
さて、そろそろ時間なので願いを考えましょう。
よかったら参考にしてください。
スマイルメーカー岡村茂でした。
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覚醒塾第一ターム3月12日よりスタート。
最終募集中>覚醒塾2016 - 岡村しげる|スマイルメーカーのページ
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くらきより くらき道にぞ
入りぬべき はるかにてらせ
山の端の月
暗い心の闇からさらに深い暗い道へと
迷い込んでしまいそうな私を、
どうぞ世の中をあるがままに照らすという名月よ、
その真の光ではるか先まで
照らして導いてください『拾遺和歌集』
生没年不詳。平安中期の歌人。大江雅致の娘。
その生涯は波乱に満ちており、各地に多くの
伝承を残している。恋歌、挽歌にその抒情歌人
としての天分が発揮されているとされる。
(出典:東京都神社庁)
3月になりました。
空気はまだ冷たいですが、陽の光は暖かさを感じます。
上の解釈では「暗い心の闇」とあり、
一見した時には、「もう関係ないな」とスルーしそうになりました。
けれども、読み返すとこれは、
これまで身につけた思い込みや常識、偏見や過去の体験、等
色メガネを通して外界を見ている「自分のこと」だと気づきました。
幻想に光を当て、ありのままを見よ、と
「覚醒」を促す歌と感じました。
今月も精進します。
スマイルメーカー岡村茂でした。