「虚勢を張る」
それは無様だ。
その姿を見て多くの人が笑う。
けれど、
虚勢を張ってでも進むべき時もある。
それも勇気。
無様さを怖れて踏み出さず、
笑うだけの者になってはいけない。
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前に進むときの伴走者
Keep Calm, Keep Moving.
ひと月ほど前に触れる機会があった「システマ」。
ロシア軍特殊部隊が生んだマーシャルアーツです。
余談ですが、「マーシャルアーツ」って「武芸」の英訳。1918年に日本人によって発行された和英辞典で初出、そこから広まったとのこと。
そのシステマで最も大切にされている原理が次の一文らしい。
keep calm, keep moving!
(動き続けよ、湖面のような静かな心で)
日本の武道でも語られそうな文言です。
これは今、そしてこれからの時代をうまく生きるには必須の在り方に感じます。
今もこれからも、変化や変動がより激しくなっていくことはもう疑いの余地はないでしょう。
湖面のような静かな心を維持することで、変化やその予兆をキャッチできます。
そして静かな心でいながらも、動きは止めない、固まらない。
常に変化・変動している状況の中で止まる、固まるのは、ラグビーやサッカーのフィールドでボーッと突っ立っているのと同じ。必敗です。
静かな心でいながら無限に続けられるような動き。
これを身につけて、人生楽しく乗りこなしていこうと思います。
日本におけるシステマ第一人者の北川さんから、まず最初にこれ読むといいよと勧められたのがコチラ↓↓↓
めっちゃオモロい笑。かつ大事なアイディアが学べます。
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学べば身につく。無駄な努力はなくなる。
そんな状態が当たり前になる
遠慮が生み出すもの
遠慮は曖昧さを生む。
遠慮は勘違いを生む。
遠慮は誤った認識が訂正される機会を奪う。
遠慮して事なかれ主義を選んではいけないケースは往々にしてある。
遠慮が真実を覆い隠すことがある。
真実を覆い隠すことが自分にも集団にも悪影響することがある。
遠慮、謙虚、慎しみ、優しさ、そして真実。
「知に働けば角が立つ,情に棹させば流される」
ではあるけれど、
真っ当にやるのなら、真実は最上位におかねばならない。
その他は真実が揺らがない範囲で使われなければいけない。
遠慮が慮れることはもはや無い。
そういう時代だ。
昭和は遠くになりにけり。
※※※
真実を中心に据えるなら
経験値を効率よくアップするのに、日記で振り返りを始めよう、となったのが先日。
寝る前の振り返りは自分には合ってなかった(お酒が入ると…苦笑)ので、起床後に前日を振り返っています。
そこで、気づいたことがありました。
基本的には回想する訳ですが、その時何が心に浮かんでくるかには理由があります。
何らかのフックがあってそれに引っかかった出来事が思い出されているはずです。
例えば、個人的にいま「安定した意識的呼吸」を心がけています。
すると、呼吸が不安定になった出来事、呼吸が安定している人/不安定な人、いつもより安定した呼吸ができたこと、リラックスした呼吸の時間、‥など。
呼吸にまつわるあれこれが思い出されます。
そして、「あぁそうか」と腑に落ちたり、「ここはもっとこうしよう」とアイディアが湧きます。
これ、もし「心がけていること」や「軸となる何か」(=フック)がなかったら、多分振り返りで引っかかってくる内容は違ったものになったでしょう。
その時の気分で、目覚めが良ければ「あの人の話し聞けて良かったなぁ」といい話を思い出し、目覚めが悪ければ嫌なメールが来たことを思い出す、なんて、行きあたりばったりの経験値が積み上がったかもしれません。
それはそれで悪くはないのでしょうが、「経験値を効率よく最大化する」という観点からいけば、自分の望む状態をなんとか実現するのに役立つ、そんな経験値を上げたいわけです。
そう考えると日頃の「心がけ」や「軸」が大切だということになります。
「心がけ」や「軸」はどこから生まれるかといえば、「自分がどう在りたいか」「何を大切にしているのか」「どう生きたいか」といった、自分の価値観や立ち位置からでしょう。
逆に言えば、そういうものがなければ、反射的反応的な経験値が積み上がって、経験が暴走して身動き取れなくなるなんてこともあるのかもしれません。(こうしたらこうなっちゃう、ああしたらああなっちゃう、だったら何もしないでいよう…など)
これを「変化を生む経験値向上のコツ」としてまとめるなら、
というところでしょうか。
こんなところでも価値観や立ち位置は効いてくるんですね。
さて、この自覚で変化の速度が変わるかどうか。
楽しみです。
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ネガティブな経験値の悪影響を減らしたいときは
「あぁわ、今日もミスしちゃった!」
誰しもそんな日があるでしょう。
今日がそんな日でした。
昔ならミスした自分を責めて、状況や環境を言い訳して自分を正当化する、なんてことをしていたでしょう。
それは、自分が間違っていることに耐えられなかったからだと今ならわかります。それくらい自己否定が嫌だった、逆に言えば普段から自己否定し続けていたのでしょう。
先日、EMS(エッセンシャルマネジメントスクール)で、「死の瞬間」を著してターミナルケア(終末医療)の重要性を世に知らしめた、エリザベス・キューブラーロスの言葉を聞きました。
I am not OK.
You are not OK.
But it's OK,
(わたしはOKじゃない。あなたもOKじゃない。でもそれで大丈夫)
人間として生きるわたし達が、間違わないことを前提にするのは間違っているのかもしれません。
間違いを訂正しながら成長を続ける、それが人間ではないのかな。
そんなことを思うようになりました。
タイムマシンがあったら、10代の自分に言ってあげたいものです。
間違っていようがいまいが、そんなことは関係なく自分を肯定する。その方が間違いを訂正しやすいでしょう。
そんな風に自己肯定の高い人が増えて、余裕あるリラックスした環境が当たり前になるといいな。
ほろ酔いでそんなことを思う夜です。
※※※
自己肯定を高めるなら
9月はいくつかの「終わり」がありました。
合唱ワシントン公演、半年にわたるビジネスのブラッシュアップ作業、EMS (本質行動学Essential Management School)特論2の修了。
そのうち、EMSについては修了要件に修了レポートの提出があったので、4ヶ月の振り返りをしながらレポートを仕上げました。時間の捻出が難しく諦めそうにもなりましたが、ファカルティの方の励ましに支えられなんとか提出したのでした。
さてそんな苦労もありつつ、今回レポート提出をやって本当に良かったと思いました。
今回のEMS特論2では、様々な講師陣から様々なトピックの話を聞きました。
コーチングから、妖怪、ブランディング、お金、組織経営、パートナーシップ、表現技法(クリエイティブ・ライティング)、身体の養生、武道、霊性、生物学、構造構成学、なんでもござれ、という感じ。
EMSは、人間の本質を探求し、本質に沿ったマネジメント(何とか望む状態を実現する)を実践するための学びの場であり、今回はアドバンスコースだったので、自然にその扱う範囲は拡がります。
そんなこともあって、修了レポートをまとめる前は「いろいろな話が聞けて面白かったな」という印象でした。
いちおう講座毎に、その内容をまとめた短めのレポートは書いていたけれど、なかなかしっかり身につくところまでいってなかったのでしょう。
それを、あらためて全回分のレポートを見直し、修了レポートとしてまとめ上げていくうちに、講座の体験が息を吹き返し、新たな意味を持って迫ってくるように感じたのでした。
レポートを書きながら、サラサラと絹のような新たな気づきが生まれるのが感じられたのでした。
これは「腑に落ちる」感覚だったのかもしれません。なかなかおもしろい体験でした。
このとき感じたのは、何かを経験することの意義は、この「腑に落ちる」体験にあるのだろう、ということです。
効果的に伸びていこうと思ったら、この「腑に落ちる」体験を最大化することがポイントになるのでしょう。
ここで自分のことを省りみると、ひとつひとつの体験を振り返って受け取りを深める、というよりは「次行こう、次」と新しい経験を求めがちなところがあります。
なので、気をつけないといけないですね。
あらためて、経験自体をやたら増やすのではなく、意識的して振り返りの回数を増やしバランスをとろうと思いました。
思い返せば、これまで身近にいた優秀な人は、PDCAサイクルのC(Check)が上手でした。
この気づきを生かして、年内これから3ヶ月で、「振り返り」の習慣をつけようと思います。具体的には、寝る前に日記をつけてみようと思います。
成長曲線に違いが出るか、人体実験です笑。
有限の人生を有意義に過ごすために。
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有限の人生。無駄な苦労はやめませんか?
「稼ぐ」
なんとなく金儲けの匂いがして、ガツガツしてそうで、ネガティブなイメージを持つ人も多いかもしれません。
かくいう僕もそうでした。
しかしあるとき、次のことを聞いて印象が変わりました。
「稼ぐ」はそもそもはお金儲けをすることではなく、「精を出して働く」の意味だったそうです。
※カセとは、糸を紡ぐときに使う糸の巻取り工具のことなんだとか。
↓
”働く”は価値提供することですから、「稼ぐ」とは「精を出して価値提供する」ことと言っていいでしょう。
その対価としてお金を得ていたことから、転じてお金を得ることが「稼ぐ」になったのでしょう。
個人的には、このもともとの意味を知ったことで「稼ぐ」にネガティブな印象がなくなりました。これはネガティブな集合意識から外れるのに役に立ちました。
さて話は変わりますが、先日所属する合唱団の公演がありました。
3公演+α(アルファ)でしたが、いずれも聴衆のみなさんに喜んでもらえました。
歌ったわたしたちも楽しい時間を過ごしたのでした。
それまでの練習が報われた感もありました。
興奮が止んでしばらくして気づいたのは、この合唱も「精を出して価値提供する」だった、ということでした。
会場の様子からすると、楽しみや心を動かす、という価値が提供できていたと思います。
合唱において「精を出して価値提供する」は、合同練習中も自主練も、そして本番も熱中して楽しくやれました。
そのことを考えると、仕事における「精を出して価値提供する(=稼ぐ)」も熱中して楽しくできるんじゃないかと思いました。
合唱の感覚を仕事に持ち込むとどうなるか、実験してみようと思います。
同じ思いの人が増え、顧客や世の中に役立つこと(=価値提供)をして、すなわち「稼ぐ」ことで、加えてこれを熱中して楽しくやることで、世の中は変化し始めるかもしれません。
そういう人が一人ひとり増えていくことで、価値の交換や循環がうまくいっていないこと、お金や働くことに対するネガティブな集合意識も改善されていくかもしれません。
まずはできるところからやっていこうと思います。
よかったら一緒にやりましょう。
やりたいけどやり方がよくわからない、
という方はまずご相談ください。