昨日は『論理(理性)に囚われすぎず「感覚」を活用しよう』と書きました。
その感覚の活用に際しては、ポイントがあります。
それは、感覚の「出所(でどころ)」に注目することです。
どういうことか?
自分の感覚を頼りにしましょう、とはいうものの、自分の感覚がどれだかわからない、と感じる人も多いでしょう。
基本的に「自分」の感覚なんだからわかりそうなものですが、これが案外難しい。
お腹の空いてる時と満たされている時で、
または幸せな時と怒ってる時で、
感覚なんてころころ変わる。とても頼りにできない。
そんな風に感じることはありませんか。
もっと言えば、相反(あいはん)する感覚が同居しているよ、ということもあるでしょう。
例えば、
自由に冒険しながら生きたい感覚、と
現状維持で安全に過ごしたい感覚が同時にある。
どっちを頼りにしていいかわからない。。
よくある話です。
こんな風に感じるのも、実は無理もないことです。
私たちは普段、「自分」という存在を一括りにして考えていますが、
実際は、肉体、自意識、自我(アイデンティティ)、感情、観念、エゴ、トラウマ、本質的自己(魂)、普遍意識、といった様々な要素から成り立っている、多次元的な存在です。
そしてその各々が意識を持っているので、たくさんの意識、謂わば、いろんな自分が存在しているわけです。
こんないろんな自分が「感覚の出所」なので、
全ての感覚に同じように耳を傾けていると混乱します。
さて実はそんな風にならないように、うまいまとめ方があります。
ご紹介しましょう。
まずは、「自分」をざっくり二人にまとめます。
ひとりは、「自我」(アイデンティティ、エゴ、自己防衛本能、的なもの)。
もうひとりは、「本質的自己」(魂、普遍意識、良心、的なもの)。
そして次に、感覚の出所を見きわめて、この二人のどちらかに当てはめます。
例えば、
自分らしく自由に冒険しながら生きたい感覚は、「本質的自己」クンに由来、
現状維持で安全に暮らしたい感覚は、「自我」クンに由来する。
といった感じです。
その後、
「今自分は、本質的自己クンと自我クン、どっちの感覚に従いたいんだろう?」
静かに自分の深奥に聞いてみます。
あるときは本質的自己クン、またあるときは自我クンと答えが返ってくるでしょう。
無理して本質的自己に従おう、などと思わなくてかまいません。
こんな風に感覚を活用していると、だんだん本質的自己に従う割合が増えていくでしょう。変化にかかる時間は人それぞれですが、クリアリングが進んでいくと大体そのようになってきます。
すると流れも良くなり、だんだんと迷わず「感覚」を頼りにできるようになるでしょう。
細かいことを言い出すときりがないのでまた別の機会に譲りますが、まずは、
「自分」の中に相反する性格の「本質的自己」と「自我」がある、
と押さえておけば、「感覚」を活用する上ではじめの一歩を踏み出しやすくなるでしょう。
写真は半神半獣のケンタウロス。
今日も読んでいただきありがとうございます。
スマイルメーカー岡村茂でした。
人間は、半分獣で半分神さま。
矛盾を抱えながら進化する存在。。