今年も来月から「感情カウンセラー養成講座」が始まります。(申込受付中)
いい機会なので、しばらく「感情」について思いつくままに綴ってみようと思います。
読んでもらって何かに気づいたり、なにかを思い出したり、
感情や心に興味が湧いたり、ちょっとホッとしたり、
そんな何かを感じてもらえたら嬉しいです。
よかったらおつきあいください。
さて、今日は少し昔の話を。
いまでこそ「感情を感じましょう」といいながら、心を扱う仕事をしていますが、実は30歳の頃には全く感情を感じられなくなっていました。そして、当時「感じる練習」というのを1週間くらい朝から晩までやったことを思い出します。
そもそも何でそんな状態に陥ってたのかというと、感情を「切った」んですね。子どもの頃に。
今でもその時のことをなんとなく覚えています。小学校三年か四年生の頃だったと思いますが、「感情を感じないことにしよう」と決めた感覚が残っています。
当時は引っ込み思案で気が小さく、いろんなことが怖くてびくびくしていました。感受性の強い方だったと思います。
人目が怖く目立つのが嫌で、でも注目を浴びたい、というなんとも矛盾した自意識過剰の少年でした。
そのときはクラスも結構荒れていて、毎日つかみ合いのケンカやいじめ、仲間外れがあったのを覚えています。
そんな環境の中で、気の弱い自分が毎日嫌でした。
ずっとびくびくと怯えるのが嫌になったんでしょうね。言いたいことも言えずやりたいこともできない自分が嫌で、ある時「強くなりたい」と思いました。
で、そのとき考えた「強さ」が
「びくびくしない、怯えない自分になる」ということでした。
ここまでは良かったんですが、今振り返るとその実現方法で間違ってしまいました。
そのときは「感情を切る」ことで、びくびくや怯えをを感じないことにしてしまいました。このやり方がまずいのは、その時にきちんと感じられなかった感情が潜在意識に溜め込まれて、心に歪みを生んでしまうのです。
しばらくは溜め込まれても大丈夫ですが、後々苦しくなってしまうのです。
当時は「巨人の星」や「アタックNo.1」などスポ根全盛の時代で、「我慢する」とか「耐える」が美徳と思っていました。
ちゃんと感じながら「我慢する」なら良かったんですが、当時はその感情をなかったことにしてやり過ごそうとしたのでした。
そのときは、怯えてしまったら身がすくんで何もできなくなる、「弱い人間」になってしまう。そしたら「人間失格」の烙印が押されてしまう。。と思っていました。今となっては「なんでそこまで?」と感じますが、ともかくそういう環境だったのでした。
だれか「感情は感じても大丈夫だよ」「怯えきったらまた元気が出るよ」と言ってくれる人が身近にいたらよかったなぁ、と思います。
今の自分がそこにいたら、「びくびくしたって、怯えたって、怖くて泣いたって、それでも大丈夫。それでも大丈夫だから強いんだよ」って教えてあげられるのに、と思います。
そしたら、後々そうなっちゃったように、
始終イライラしたり、抑え込んだ感情に振り回されたり、
無感覚になってネガティブも感じない代わりに、喜びも感じなくなって刺激を追っかけるようになったり、自分のやりたいことがわからなくなったり、ワーカホリックになったり、病気になったり‥しなかったろうなぁ、、と思います。
でも、それがなかったら「感情カウンセラー養成講座」も誕生してなかっただろうから、「万事、塞翁が馬」でオッケー!ということにしておこうかな・・(笑)
長くなったので、今日はこの辺で。
ちょっと書き散らかした感はありますが、おつき合いいただきありがとうございました。よかったらまたお越しください☆
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