ある日課をやっている時に気づいたことがありました。
何かが上達する過程についてです。
自転車に乗れるようになったり、絵が上達する、人前での話がうまくなる、という類のことです。
ちょっと地味な話ですが、いま親指(足)で立つトレーニングをしています。
なぜそんなトレーニングしてるかはここでは置いといて^^、
やはり最初はふらついて、長時間じっとは立てないわけです。それを5分間続けるようトレーニング中です。これもひとつの上達でしょう。
こんなとき以前のやり方は、まずは「理想の状態」、すなわち親指で立っている状態を作って、あとは意識の力でなんとかそれを維持しようとします。根性でなんとかしようとする、と言ってもいいかもしれません。
ふらついてそれができない時は、手の指で近くの壁やチェストに触れたりして、ともかく理想状態を維持することに腐心します。
そして、理想状態を維持する努力のうちに、だんだんとそれができるようになってくる。そのカタチを維持することで諸々の力がついて上達する、というわけです。
カタチから入る上達法と言ってもいいかもしれません。
近ごろは少し違うやり方も取り入れるようになりました。
いま素直に無理なくできる範囲で「理想の状態」に近づけていくやり方。
今の例で言えば、まずはつま先荷重で立ちつつ、より内側に重心を寄せていく。このときには親指以外の指も床についています。だから見た目にはできてない状態です。
見た目できてないけど、力まないでできる範囲内でできる限り目指す状態に近づけていくトレーニングです。
見た目ではわからないので感覚重視のやり方になります。できる範囲を少しずつ拡げることで力がついて上達するやり方。感覚をより繊細に使います。
現状をベースに感覚を使って伸ばしていく上達法とでも言いましょうか。
前者は「今いるところ」は関係なく「目指すところ」に意識をおき続けて、不足が埋まるのを待つやり方。
後者は、「今いるところ」を受け入れて、そこから力まずできる範囲内で「目指すところ」へ向かい続ける。そして変な根性を使わず力をつけていくやり方。
ちょと雑ですが、ここでは話の都合上、前者を観念ベースの上達法、後者を感覚ベースの上達法と呼びます。
観念ベースの上達法は、やってる感があって、比較的早く目指す状態に到達し、わかりやすいけど、無理が歪みを生むことがある、現状否定に陥りやすい、応用が効きにくい。
感覚ベースの上達法は、自分を甘やかす感じがする、遠回りで時間がかかりそう、感覚が閉じてると練習できてるのかどうかわからない。けど、無理がなくのびのび伸びる、自己肯定的、目標に特化した力のつけ方ではないから応用がききやすい。
それぞれ一長一短です。
以前は何か上達しようと思ったときには主に観念ベースで取り組んでいたものでした。でも最近は意識的に感覚ベースも取り入れるようにしています。
感覚ベースのいいところは坦々と続けられて長続きしやすいのです。
で、実は意外と早く上達するし、続けられるから目標に到達しやすくなります。
感覚ベースを取り入れてから、消耗感が減っている気がします。
以前はいつも頑張ってなきゃいけない感覚に陥ってたのかもしれません。
この年齢になって思うのはやはり人生は長距離走。
観念ベースオンリーだと息切れするし、そうすると積み上がらなくて上達しません。
とはいえ、感覚ベースオンリーだと上達の実感が少なくて飽きちゃったり、期限のある場合だと間に合わなかったり、目指すところが曖昧になったりということもあるので、実際は両方を使い分けていくのがいいでしょう。
仕事柄多くの人と接しますが、自分は観念ベースが癖になっていたように、大抵の人は知らず知らずどちらかのやり方が癖になっています。
ものごとの上達には観念ベース・感覚ベース、2つのプロセスがある。
そして、それらを意識的に使い分けられるとより効果的により早く上達できるように思います。
ステージを急いで変えたい時期、じっくり変化する時期、人それぞれのタイミングがありますし、また変化を望むスピードも違います。
こうしたことを念頭に置きながら、セッションや講座で関わる方のよりスムースな変化を促していこうと思います。
個人的には感覚ベースのトレーニングの時間を増やして自己肯定を前提に、かつ意識をストレッチするため、そしてスピードアップの刺激を入れるために観念ベースのトレーニングを使っていこうと思います。
「覚醒が進めばこれらは同時並行で行うようになるんだろうな」と思いつつ、今は無理をしない範囲で最大限できることをやっていこう、と思ったのでした。
自己変革のコンサルタント
スマイルメーカー岡村茂