こんにちは、心の研究家 岡村しげるです。
昨日は、お気に入りの天ぷら屋さん「栗天ーくりはらの天ぷら」で、昔の同僚とランチでした。
経営コンサルタントであり、意識や心の世界にも通じている彼とは、話が合います。数年ぶりの再会でしたが、ブランクを感じません。こんな風にアプローチは違えど同じ方向を向いている友人は貴重です。
彼と話していると、ベースの考え方が同じであることを感じます。
考えてみると、彼に限らず、話が弾む人はベースの考え方が同じな気がしてきました。ふと、その「ベースの考え方」ってどんなだろう?と思い、考えてみました。
いろいろあるのかもしれませんが、もっともピンと来たのは、
「自分の意識が現実を創る」というものでした。顕在か潜在かによらず、自分の意識の総和が現実を創る、という考え方です。
思い返してみると、昔からこの考えが好きでした。いや、好きというより「指針」としていた、と言った方がいいかもしれません。
潜在意識という言葉や、意識が現実を創るという考えに初めて触れたのは、中学生の頃に読んだJ.マーフィーの「眠りながら成功する」という本だったと思います。よっぽど成功したかったんでしょう(笑)。
この考えの好きなところは、「うまくいく/いかない」理由が自分の内にあるというところです。自分の意識を明晰にし、潜在意識を顕在化すればするほど、つまり「意識の覚醒」を進めれば、「なぜ今こうであるのか?」という現状の理由が説明できるという訳です。
これは自己責任的な考えなので、うまくいかない現状を見つめる時には、時に辛いものにもなりますが、同時に福音でもあります。なぜなら自分が創っている現実であれば、創り変えることもできるからです。自分のどの意識が今の現実を引き起こしているのかが明らかになれば、それを必要に応じて維持、修正していくことで、自分の望む現実を引き寄せることができる、というわけです。
いま思えばこの考えが、十代前半の八方塞がりを感じていた人生からぼくを引っ張り上げてくれました。思春期の頃だったかなぁ、直感的にこの考えを採用したのはいい決断でした。
考えてみると、ぼくは自分の人生を実験台にして、この考えを確認してきたような気がします。そして、試行錯誤を繰り返しながら、今のところますますこの考えー自分の意識が現実を創るーへの確信は深まっています。じっくり研究観察すればするほど、自分のうまくいっている現状にも因はあり、うまくいかない現状にも因があるのがわかります。
洋の東西を問わず、多くの成功哲学の祖や、信頼できる自己啓発作家が語っていること、また良質のスピリチュアルな教えが伝えてくれていること、その最も重要なエッセンスのひとつは、この
「意識が現実を創る」という考え、
といえるでしょう。
このようなわけで、縁あってこのブログを読んでくれたより良い人生を望むあなたには、「意識が現実を創る」という考えをぜひ活用してほしいと思います。
そこでこの考えが分かりやすく、格調高く、かつ簡潔にまとめられている、「人生の教科書」のような一冊を紹介します。
英国の実践哲学者、ジェームス・アレンによって書かれた
「原因」と「結果」の法則 です。
- 作者: ジェームズアレン,James Allen,坂本貢一
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2003/04
- メディア: 単行本
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この本は、今から一世紀以上前の1902年に英国で書かれた名著で、聖書に次ぐベストセラーとも言われているそうです。
京セラ名誉会長の稲盛和夫さんも「成功の秘訣から人の生き方まで、すべての原理がここにある」なんて言ってます。大げさに聞こえますが、読んでみると決して大げさじゃないかも、と思えてきます。
少し引用してみます。
人間は
思いの主人であり、
人格の制作者であり、
環境と運命の設計者である。
この宇宙を
動かしているのは、
混乱ではなく
秩序です。
不注意な人間、無知な人間、怠け心を持つ人間は、表にあらわれた「結果」だけに目を奪われ、その背後に存在する「原因」をみようとしないために、あらゆる成功を、幸運、運命、あるいは偶然などという言葉で片づけようとしています。
いかがでしょう。
先日、息子の18歳の誕生日にこの本を贈りました。そして今また自分でも読み返しているところです。以前読んだ時にはそこまで深く読めなかった、という箇所がいくつも出てきます。これからも何度も読み返したい名著といえる本だと思います。
ピンと来た方はどうぞ、読んでみてください。
きっと、今よりいっそう自分らしい人生をおくるためのヒントが見つかるでしょう。
今日も読んでいただきありがとうございます。
スマイルメーカー岡村しげるでした。
幸いなことに、ぼくたちはピンボールの玉のように人生に翻弄されたり、被害者気分に苛(さいな)まれる必要はないらしい☆