こんにちは、スマイルメーカー岡村茂です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
個としての自己 と、全体としての自己。
この2つの自己。
自我と真我、小我と大我、自我と本質、エゴと魂、身体・幽体と霊体、子と父・聖霊。それぞれいろんな呼称があります。その境界もばらついているので厳密さは欠いていますが、「自己」や自分といった時に指すものは大別して2種類あります。
意識や自己啓発に興味のある人はご存知でしょう。あまり興味のない人は意識したことがないかもしれません。その場合は自我や身体(含 思考/感情)、つまり「個としての自己」を自分と指すのが通常でしょう。
自己成長や自己啓発の話を読み聞きするときには、「自己」や自分という言葉がよく出てくるわけですが、
このとき「個としての自己」の話をしているのか、「全体としての自己」の話をしているのか区別しておくことはとても重要です。
自己成長にはざっくりと2つの方向性があります。
ひとつは、「個としての自己」を洗練させる(浄化・クリアリング、癒し、矯正、ときに破壊)方向。
もうひとつは、「全体として(完全で欠けるところのない)の自己」としての認識を深める、
という方向性です。
「自己を磨きなさい。」というときの自己は、「個としての自己」を指しているし、
「ありのままの自分でOKですよ。」というときの自分は「全体としての自己」を指しています。
これを理解しておかないと、
ありのままの自分でOKなんだから、現状の「個としての自己」のままでいいんだね、と改善の機会を失ったり、
磨いて改善しないといけない自己なんだから、自分(「全体としての自己」も含めて)は不完全なんだ、と誤った自己否定に陥ったり、
ということが起きてしまいます。
実際こうした誤解は、精神や意識の世界のように、実体感が弱く自己都合の解釈がまかり通りがちな領域では数多く起きています。
そして、せっかく自己成長しようとしたのにかえって迷いを深めたり、混乱して投げ出したり、おかしくなっちゃったりする人もたくさんいます。とても残念なことです。
今日のこの認識は、人生での様々なトライ&エラーを経て理解を深めてきたもので、わたしの人間観の前提になっています。そして生きる上でとても役立っています。
この観点が伝わって、ひとりでも多くの人の役に立ったら嬉しく思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
スマイルメーカー岡村茂でした☆