スピード。
品質。
なんとなく、
そう、なんとなく、
この2つは相反するものかのように感じていた。
早く行うと雑になる。
ゆっくりやれば、丁寧になって質が上がる。
でも本当にそうなのか?
なんとなく長年解消されずにそこにあった疑問。
それは単に思い込みかもしれない。
そういうときもあるかもしれないしそうでないときもあるかもしれない。
先日、「スピードライティング」という講座に参加した。
スピードライティングとはその名の通り「スピードを上げて書く」、というものだ。
その講座の講師、編集者で作家の三浦崇典さんが言うには、「スピードを上げたほうが文章の質が上がる」というのだ。
たいていの人は書くことに限らず、作業というものはスピードを上げたら雑になって品質が下がるし、ゆっくり丁寧に行えば質が上がると思うだろう。事実そういうことはある。僕もそう思っていた。しかし三浦さんはそうでない、と言う。
「どういうこと?」と思いつつもどこか正しい気もする。
その時は自転車の例で話されていた。いわく、「自転車の練習を始めたときを思い出してほしい」と。「そのころって、ある程度思い切りよく勢いに任せてこげば乗れるし、ゆっくりこぐと倒れてしまうでしょ?」と。
たしかにそれはその通り。BMXアクロバット(自転車曲芸乗り)を思い出してもスローな方が難しい、そういうことはある。
他にも「石橋を叩いて壊す」の言い方もあるように、慎重にいきすぎて枝葉末節が気になって、本筋がわからなくなることはよくある。僕も以前に仕事で企画書や提案書を書いていたときによくあった。今でもレターや告知分を書くときに起きることだ。
逆にスピードを上げると枝葉が切り落とされて幹だけが残る。その結果読む方は幹だけが提示されてわかりやすい、という訳だ。つまり質が上がる。
これは文章を書くときだけでなく、案外なんにでも通用するのかもしれない。料理しかり、絵や書、ひょっとしたらセミナーの講義やアドバイス、人の相談に乗る時なんかもそうなのかもしれない。時間をかけすぎることでかえって伝わりにくくなるのだ。それは単に作業者の自己満足にすぎなくて、本当には役立ってないのかもしれない。そう考えると少し怖くなるが、でもそういうものだろう。
本来物事には、速すぎもせず遅くもない「ちょうどいい時間」というのがあるんだろう。そして無意識の「ゆっくりやった方が質が上がる」という思い込みを打破するには、いったんスピードを追求するのが有効だと感じた講座だった。
よく考えてみれば品質は「丁寧さ」と「雑さ」が問題になるのであって、スピードの問題ではない。
ゆっくりやったら丁寧にできて、素早くやったら雑になるというものではない。そういう場合もあるが、そうでない場合もある。
丁寧にやるには一定のテンションが必要で、速「すぎ」たらおっつかなくなってテンションは壊れる。でも遅くても気が散ったり緩んだりでやっぱりテンションが壊れるのだ。
スピード自体を目的にするのではないが、
「品質を担保する」目的のためにスピードを(仮の)目的にする。
しばらくそんなスタンスで物事に取り組んでみようと思う。
スマイルメーカー
岡村茂
〜岡村茂 プロフィール〜
マインドフルネス。潜在意識のクリアリング。
癒し、そして本来の自分と出会う。
自己実現の最短ルートを進み、
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QOL向上コンサルタント
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